活動報告

2017-01-17
ひょうご安全の日 1.17のつどい

 1月17日午前、HAT神戸で執り行われました「ひょうご安全の日のつどい」に出席させていただきました。阪神淡路大震災の犠牲となられた方々へ哀悼の誠を捧げるとともに、安全・安心な社会づくりに向けて歩む決意を国内外や次世代に発信するための式典です。
 
 井戸兵庫県知事による主催者代表挨拶に続きまして、私からも政府を代表するとともに、被災者の一人として御挨拶をさせていただきました。以下、私の挨拶全文です。
 
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 本日ここに「兵庫安全の日 1.17のつどい」が執り行われるにあたり、政府を代表するとともに、被災者の一人として、謹んで御挨拶申し上げます。改めて、震災により犠牲となられた方々とそのご遺族の皆様に心から哀悼の意を表します。
 
 1995年1月17日午前5時46分。あの瞬間に起こった阪神淡路大震災は私たちが心の故郷とする原風景を瞬時に破壊しました。仕事、団欒、街並み、思い出。たった1秒先が予見出来ない人間の限界を思い知らされました。そして、6,400名を超える尊い命が失われました。その方々にもそれぞれの人生が長く続いたはずです。生きていたら今年は何歳だと話しておられるご遺族の方も多いことと存じます。私もあの時既に起きて着替えをし、学園都市駅に行くところでした。ずしんと沈み込んでゴーという地鳴りがした時、とんでもない地震が何秒後かに来ることを覚悟しました。1歳になった子供を抱くようにと、家内に叫んだあの時から22年がたちました。震災の起こった前の年の7月、地球から数億キロ離れた木星にシューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突しました。科学はその時間を正確に予測しましたが、科学の力を持ってしても、私たちの立っている地面の下で何が起こっているかは予測出来なかったことに、虚しさすら感じました。
 
 あの日以来20年以上にもわたる長い復興への道のりは、多くの県民の皆様にとって決して平坦なものではありませんでした。多くの犠牲を払いました。内外からの温かい支援を力に一歩一歩を積み重ねてきました。今なお続く復興の歩みの中で街並みは新しく生まれ変わり、人々の生活も元に戻りつつあります。しかし、やっと取り戻した平穏な日常は、あの時得た危機感や教訓、険しかった復興の記憶を薄れさせているような気も致します。
 
 大事な事は、阪神淡路大震災の経験や教訓を風化させることなく、今後の我が国の災害対策に生かすとともに、次の世代に継承していくことです。
 
 私は、あるお二人のおっしゃった言葉が忘れられません。当時私は県会議員でした。その一つは、震災から二年後、要望書を持って上京した折などに、ある国会議員が「まだやってるのか」と何気なくおっしゃった一言です。
 
 二つ目は、当時建設省から兵庫県副知事として赴任された方が、4年の任期を終えて離任するにあたり、こうおっしゃったことです。「最後の県会本会議で震災復興に関する質問が一つも出なかったことは、正直寂しい思いがしました。」
 
 阪神淡路大震災から今日まで、耐震、免震が叫ばれており、これらに対する補助、融資、促進税制など、いろいろな施策が講じられてきました。しかし、まだまだです。
 
 阪神淡路大震災の経験や教訓を活かした取り組みを通じて、震災を乗り越え、再び築き上げてきたものが、もう二度と崩れることのないように、我が国の災害対策の推進に対し、私も全力を尽くして参りたいと思っております。そして、今も東日本大震災や、熊本地震、糸魚川の大火災など、多くの皆様がつらく、厳しい日々を送っておられます。国民皆が被災された方々へ思いを寄せ、そして災害大国である日本に住む以上、互いに思いやる気持ちを大切にしたいと願っております。
 
 最後に、改めて、震災により犠牲となられました方々のご冥福を心よりお祈り致しますとともに、安全・安心の兵庫がさらに発展することを祈念し、私の御挨拶とさせていただきます。
 
 平成29年1月17日 国土交通副大臣 末松信介
 
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