活動報告

2012-06-01
中国・遼寧省 大連市を訪問しました。

5月25日~27日までの3日間、中国・遼寧省大連市を訪問しました。
滞在中の3日間、大連市共産党書記 唐軍氏、遼寧省共産党副書記(元大連市長)夏徳仁氏との懇談や、大連市主催の第23回アカシア祭りに出席を致しました。
 
大連市は人口620万人です。遼寧省では瀋陽に次ぐ大都市です。
緯度は日本の仙台市にあたりますから、夏は暑く一方で冬は大変寒いところです。
昨年末放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」の日露戦争の舞台となったところです。
二〇三高地のある放順口区は、大連市から車で一時間程南下したところにあります。
 
今回降り立った大連周水子国際空港は、国内線108路線、国際線38路線をもつ東北地区最大の貨物運送基地であります。
空港長である才力氏の出迎えを受けた後、曲暁飛氏大連市副市長にもご同席いただき、歓迎昼食会を開いていただきました。
懇談の中で、空港長からは大連と羽田空港との直行便の開設について話があり、その熱意がよく伝わってきましたが、一方で日本の航空行政の難しい一面にも深い理解を示されておりました。
曲大連副市長とは、実はつい二週間前にも東京でお会いしたばかりでしたが、今度は私が大連の経済情勢・工業・インフラ整備のことなど、色々とお尋ねすることとなりました。
系統工程学博士でまた教授でもある曲副市長ですので、かなり専門的知見から産業振興の在り方の説明や、問題点を指摘しながら的確にお答えくださいました。
曲副市長については、会議やフォーラムで発言されている内容や、日本人が生活しやすいように環境整備につとめたいという考え方などが、過去大連日報などで紹介されています。
 
到着当日午後はお忙しい中お時間をいただき、大連市共産党書記唐軍氏と大連市共産党本部内で懇談の機会を頂きました。
当日はアカシア祭りで各国から来賓の方々の表敬訪問もおありのはずでしたが、30分程度お時間を頂戴いたしました。
その話題の中心は、大連市の経済情勢についてでありました。
私は大連市には二度目の訪問でしたが、大連市内の重要プロジェクトのことは事前にその説明書に目を通しておりました。
大連双D港産業園区“DDポート”は、“Digital DNA”の頭文字をとって名付けられたそうです。
私は、IT産業とバイオを中心として発展する金洲新区のことについて尋ねました。
また政治情勢については、総理が毎年変わる我が国日本と、リーダーが長く勤められる中国との違いについて意見を交わしたところであります。
唐軍氏には限られた時間ではありましたが、市長のさらに上に立たれる書記の使命感・責任感というものがいかに大変なご苦労があることはその表情から感じ取ることができました。
失礼な発言が多々あったかもしれませんが、お許しを頂きたいと思います。
 
夕方、アカシア祭りの会場で再び同書記にお会いしました。
にこやかにされ、書記の隣の席を勧められました。
お祭りは民族衣装をまとった中国・ロシア・韓国の方々が歌ったり踊ったりとユーモラスあふれる、賑やかな祭典でありました。
日本からは津軽三味線の演奏がありましたが母国の方々が舞台に上がられると嬉しいものです。
祭りの途中、唐軍書記からこういった話をされました。
唐軍書記:「今年は中日国交正常化40周年ですね。」
末松:「私はその時のことをよく覚えています。高校1年生のときでしたから。」
唐軍書記:(少し振り返りながら)「私は小学生だったと思います。末松さん、中日国交化正常化がされた記念すべき日に、毛沢東主席が田中角栄当時の首相に贈られた物をご存知ですか」
末松:「勉強不足で恐縮ですが、存じません」
唐軍書記:「それは“楚辞”というものです。本なんです。」
と、唐軍書記は、わざわざ漢字で教えてくださいました。
私は帰国してすぐにそのこととそして楚辞について、改めて調べてみました。
周恩来氏は「言必信行必果」(言必ず信、行必ず果)と書いた色紙を田中総理へ贈ったそうです。
唐軍書記が話されたように、1972年(昭和47年)9月27日夜、毛沢東主席は中南海で会見終了後、田中角栄総理へ「楚辞集注」が贈られたとのことです。
楚辞を贈ったことについて色々と意見を述べられる方は当時はいらしたそうですが、楚辞は中国戦国時代、楚地方に於いて謡われた詩の様式のこと、またはそれらを集めた詩集の名前であると言われています。
しかしあの時から日本と中国の新しい歴史・新しい時代が始まったわけです。
 
27日(日)日午前中は、遼寧省副書記夏徳仁氏がわざわざ、瀋陽(旧奉天・大連市北360キロ)からお越しくださり、懇談と昼食をともに出来ました。
私は大変感激を致しました。
夏副書記は背も高く、年齢は私と同じでありました。
大連市長を2003年~2009年まで7年間勤められました。
1990年経済学博士となり、1994年から97年まで東北財形大学の学長も務められました。
懇談では大連市をはじめ遼寧省の経済情勢について、説明を受けました。
長興島プロジェクトなどは石油関連、造船所などが中心的役割を果たしています。
漁村から工業港に発展し、企業優遇税制で外国からの投資を呼び込むなど、様々な努力をされています。
高速道路も整備され、世界第6位の韓国の造船メーカーSTXも進出しているところです。
こうしたプロジェクト一つ見ても中国の大きさと発展の速度には改めて驚かされます。
また、私は夏副書記に「日本人は温泉好きです。そして日本人には裸の付き合いという言葉もあります。中国では、大浴場にみんなで入る習慣があるのでしょうか」と尋ねました。また、水着を着用して入るのですか。と尋ねました。
夏氏からは一概に言えないというお答えがありました。
しかし、この遼寧省には温泉源がたくさんあると聞いています。
今後温泉地がたくさん出来、一層整備されればかなりの日本人観光客が、大連・遼寧省を訪ねると思います。相互交流も広がると思いますと話しました。
また今後厳しさを増す日本の介護について意見交換をしましたが、夏氏からは大連市遼寧省の高齢者人口など今後の推移についても、細かい数字を教えてくださいました。
メモをみられることなく詳しく返事が戻って参りました。きちっと頭の中で整理されておられました。
 
大連の輸出の29%は日本です。大連の輸入の22%は日本からです。ともに第一位です。
切っても切れない関係にあり、大連の発展と日本の発展とはある面平行していると考えらます。
私はある情報誌からこういう数字を知りました。
2050年中国は世界のGDPの29%を占めているであろうと。その時アメリカとインドは各16%、ロシア5%、ブラジル4%、そしてインドネシア・日本はそれぞれ3%とのことでした。
GDP一人当たりの額は小さいものの、大国、中国から謙虚に学ぶことも大切です。
私は、日本を世界の成長の動力源となるものづくりの種を開発できる国に、そして人口が減少しても質の高い日本国を目指したいと政治家として強く願っているところであります。
別れにあたり、夏氏からメノウでできた素晴らしい碁石を頂戴いたしました。
そして、もうひとつ大切なものを頂戴いたしました
夏先生が執筆された「大連振興の軌跡」という書籍であります。日本語訳されたものです。
記念に署名もしてくださいました。
まさに、夏先生が心血を注いだ大連の街づくりについて詳しく書かれております。
ゆっくりとじっくりと拝読したいと思います。感謝申し上げます。