7月6~7の二日間、中川雅治参議院議員(東京都選出、元環境事務次官)と二人で岩手県の被災地視察に行ってきました。
中川議員とは本会議場の議席、議員会館の事務室ともに隣同士で、平素よりとても親しくおつきあい頂いています。 まず初日、最初に釜石市を訪れましたが、釜石湾では湾口防波堤の83%が破壊されたそうです。釜石市では、この防波堤がなくなり街を守るガードがなくなってしまって、丸裸の状態なので、次の津波がきたらまったく耐えられないということが一番の心配とのことでした。
また魚市場ではセリ場施設が完全に壊れて、隣接する湾内の道路も約1m沈下しているとのことで、岸壁も相当激しく損傷していました。漁に出て水揚げをしても、冷凍施設や製氷施設も壊れてしまっていて、つまり魚を獲る、水揚げをする、冷凍する、加工する、運ぶ、こうした一連の流れが機能停止してしまっている状態なのです。 漁業施設は同時並行的にあらゆる施設の復旧がなされないと、回復したことにはならないわけです。現場で聞いた釜石市の職員からは、街の復旧については優先順位を冷静に判断していかなければならないという話が出ました。8月の、秋刀魚や鮭の水揚げが始まる時期に製氷機や貯氷庫がない、こうした施設の復旧のスピードをあげていくことが、漁業者や釜石市の一番の願いであるという答えが返ってきました。 セリ場の復旧は漁業協同組合が担当し、港湾内道路は県の所管ですが、全体的に復旧を推進する主体が誰なのか、また財源がどのように手立てされているのか、東京で復旧予算などのことを議論している立場の自分ですらすぐには判らないのです。現場であらためて判る、そうした実態がありました。
また釜石市は瓦礫処理が遅れているとの話でした。我々が見ても分別処理にも手間取っている様子が伺えました。さらに、瓦礫の中の木材は塩水をかぶっているため、焼却した場合炉が傷んでしまうとの懸念があります。 沿岸部すべてはまだまだ処理するには時間がかかるという状況であります。分別処理を正確にやればやるほど時間がかかってしまう厳しい実態が理解できました。こうした瓦礫を一旦集積する仮置き場が不足しており、民有地を借りてでも確保したいとの要望が出されました。
こうした説明を聞いている間にも、たくさんのハエが自分の体に止まってくるので、こうした災害復旧過程では衛生面にも配慮しなければならないということを、あらためて痛感しました。 その後大槌町へ入りました。大槌町は地震直後、仮設テントで対策会議を開いていたときに津波に遭い、加藤町長以下32名の職員が亡くなられた町であります。一部残った庁舎の時計が、津波の時間を指したまま止まっているのが象徴的でした。
一時町長代理をしておられた副町長の任期も切れ、現在は総務課長が町長の職務代行者として、残った107人の職員とともに仮設の庁舎で町政の指揮を執られていますが、職員も多く被災し、役場機能はけっして十分とはいえません。選挙日の特例によって8月28日に選挙が行われると聞きましたが、新町長の元、一日も早く復興を進めてもらいたいものです。 大槌町では住民の約半数、死者行方不明者が1600人を超え、3600軒を超える住宅被害がありました。しかし住宅再建しようにも街の後背地にはすぐ山が迫り、高台移転をするには山を切り開くなど大規模な宅地造成をしなければなりません。いずれにしても県や町の復興計画を見定め、思い切った対策をとることが必要となります。 *写真をフォトギャラリーにアップしました