活動報告

2011-07-20
飯舘村視察


 6月24日(金)、同僚の中村博彦議員と一緒に福島県の飯舘村に行って参りました。3、4月にそれぞれ一度宮城県石巻市、仙台市などへ被災地視察に参りましたが、福島県は今回が初めてでありました。  この度は社会福祉法人の方の道案内で、特別養護老人ホーム「いいたてホーム」を訪れました。JR福島駅で新幹線を降りてから車に乗り、山を越えて1時間少々かかって、飯舘村に入りました。飯舘村は約1700世帯、人口約6100人。飯舘牛で有名なこの村は、静かな農畜産業を中心とした村であります。 その静かな村は原発事故で計画的避難区域に指定され、村内は人影もほとんどない状況でありました。施設以外で村の中で動いているものと言えば、すれ違うパトカーと消防車だけでした。聞くところによると、飯舘村の歴史で人がいなくなったというのは江戸時代の天明の大飢饉以来とのことです。  避難をしなくてももちろんペナルティを科せられることはありません。しかし、村民ほとんどが避難をされた村の様子を目の当たりにし、放射能事故の事の重大さを現実のものとして受け止めるには、県外からきた人間にとっては少し時間がかかりました。  その人影のない村にしっかりと稼働している施設がございました。それが特別養護老人ホーム「いいたてホーム」であります。ショートステイも入れて、定員は130名と伺いました。現在109名のお年寄りは、この施設に残って生活をしたい、村に残りたいと願って生活を続けておられます。入所者がおられる限り、当然施設を運営していかなくてはなりません。当然職員も必要でありますが、職員で被災された方もおられ、通常より少ない職員の方々で施設の運営にあたっておられました。  到着してすぐに、施設長の案内でゆとりのある園内を見て回りました。生活共同スペースや廊下に、近所の方々が入所者さんの中に混じって、様々な施設の行事(餅つき、クリスマス、味覚祭り、紅葉狩りなど)が行われてる様子の写真がたくさん壁に飾られていました。 今こうした施設の行事に協力された方々は、この村にはおられません。福島市近くの飯野というところに役場が移転し、村民もその周辺に今は住んでおられます。近い将来、村人が一日も早くこの飯舘村に戻られてこのような行事がもう一度平和に行われることは村民誰しもが願うところであります。  施設内を見学した後、福島県内の特養の関係者の方や福島県社会福祉協議会の方も集まられて、震災後の意見交換会を行いました。一日も早く計画的避難区域指定が解除されること、そして元通りの生活に戻れることは施設関係者の願いでありますが、まず解決しなければならない問題は、少なくなった介護職員の問題で、どのように日々のお年寄りのお世話をしていくのか。サービスの低下をきたさないようにしたい。そのためにも、避難地域ではありますが職員の方をいかに確保するということが大きな課題とのことでした。 また、いつまで避難が続くか分からない中、職員の雇用の問題、手当の問題などにも議論が重ねられました。お世話をする職員の方も村内の方々ばかりでしたが、今は村外に避難しているため通勤時間がかかり過ぎて、介護サービスに支障をきたすという懸念の声が上がっておりました。  視察が終わりましてから、いいたてホームの隣にあります飯舘村役場に行きました。その役場敷地内に放射線量を示す大きな電光掲示板が備え付けられています。私が伺いましたとき、3.75マイクロシーベルト(毎時)を指していました。1年間8760時間を単純に掛け合わせると32.85ミリシーベルトになります。つまり、許容量である20ミリを超えていたのです。 もっとも、一日中人間は屋外にいるわけではありませんが、この掲示板を将来撤去させるためには、とにかく事態を収束させる、英知を結集させて安全宣言できる環境にもっていかなければならないわけです。  この日私が感じたことは、施設で勤めておられる方が、介護してあげようという思いがあるからこそ、施設は一時閉鎖もすることなく運営され続けているのだということでした。また、こうした施設におられるお年寄りの方は、無理に仮設住宅に入居したり、遠方の病院に転院をされたりした場合、かえって寿命を縮めてしまうのではないかと感じました。 こうした公的施設に働く人々の使命感、強い意志、ある意味意地というものに頭が下がる思いでありました。