活動報告

2005-05-17
国土交通委員会

162- 参-国土交通委員会-17号 2005年05月17日 ○末松信介君  時間が大分経過しましたので、簡潔に質問させていただきたいと思うんですけれども、兵庫県の自民党の末松です。  四月の三十日に川西の方で植木さんという方の御葬儀、参列をさせていただきました。まだ若い四十代の方が亡くなったんですけれども、弔辞の中で友人が、今日の間違った日本社会を象徴する事故であったということを言われたことが大変、私、印象的なんです。今、社長と大臣、いろんなやり取り言っていました。特に山本委員と大臣との話聞いていて、非常に重苦しいものを感じました。  私、思うんですけれども、率直に、過密ダイヤではないという、これ、いろんな話ありますけれども、例えば余裕時間がゼロであったということは、私、今まで新聞記事のとおり、あるいはいろんな話を聞いたとおりゼロだと思っていたんですけれども、これは事実か事実でないのか、ちょっと、きちっと社長から御答弁いただきたいと思うんです。 ○参考人(徳岡研三君)  当該の列車につきましては、尼崎までは余裕時間はゼロでございますが、尼崎から学研に抜ける、東西線に抜ける中で余裕時間は取っております。 ○末松信介君  じゃ、余裕時間はやっぱりゼロなんですね。──結構です、もうゼロだというふうにおっしゃったので。そしたら、その回復運転が、余り時間を取りませんので、回復運転をするために、それはもうチームで何らかの努力をするというよりも、独り運転士にその荷重が掛かってしまっておるという実態、明らかじゃないですか、これ。  そんな気の毒なことをして、私はずっとこれ考えておりましたけれども、恐らく前の駅でオーバーランしていたと。戻ったときも二十メーターほどバックし過ぎたと。それはかなり動揺していますよ。今お話のあったように、日勤教育のこととかいろんなことがやっぱり頭をよぎったと思うんですよ。私、それが無理なことを運転士さんに強いていたということ、これは間違いないと思うんですよね。大いに反省すべき点があろうかと思うんですけれども、社長の見解を伺いたいということ。  それと、これは参議院議員として是非今お伺いしておかにゃいかぬと思うんですけれども、これだけの方が亡くなられました。社長は御答弁で風土改革に取り組まなければならないとおっしゃっておられます。ですから、辞任を否定されておられるわけなんですけれども、それはもう、今お辞めになることは、これは決して好ましいことでないと思うんです。きちっと再出発をする、きちっと事故の処理をするということですけれども、しかし抽象的に風土改革言っても、さっきのお話じゃ三年から五年掛かりますので、じゃ、いつのタイミングをとらえて、これ、男として、社長として責任を取るのか。今までJR西日本、これ個人に、ある方に、特定の人に責任を取らせて、法人としての責任を取るということが余りなかったというふうに思えるんですよ。この点について社長のお考えを教えていただきたいと思います。  最後に、これは国交省にお聞きしたいんですけれども、JR、ここは民営化してJRになったんですけれども、特に旧国鉄時代と違って、これは安全面において、あるいは別の分野においても、非常に状況なんかが把握しにくくなったのかどうかということですね。官から民へ、それによって非常に今のJRの姿が中身まできちっと見えにくくなったのかどうかということを聞きたいということ。鉄道に対する技術力、技術についても、国交省は、高くなっているのか、横ばいなのか、落ちてきたのか、その辺のことを、場合によっては、これ安全面においては民から官へ、法律や省令、行政指導、あらゆる面で厳格にしなきゃならない点たくさん出てくると思うんですよ。大臣も、今回の再開するには、やっぱりATSを新しいものにするということ、運転士の資格要件の問題、更にはカーブの速度制限、この三つがきちっとしないと再開を認めないということをはっきり言われましたんで、これは法律の改正もひっくるめてどの程度のお考えなのか、これは国土交通省の見解、以上三点を伺いたいと思います。 ○参考人(垣内剛君)  それではお答えをさせていただきます。  余裕時分がなかったというふうなことだと、そうすると回復運転を命ずるのはおかしいではないかと、こういうふうなお話で、それはごもっともなことだと思います。  私どもは、回復運転というのはあくまでもその制限速度の範囲内においてというふうなことでございますので、その制限速度と実際のランカーブの間にその差があることがある場合もあるかもしれませんけれども、あくまでも制限速度の範囲内において回復をするというふうなことでございますので、今回の事例において、当該の運転士がどのような心理状態であったかについては私ども分からないわけでございますけれども、やはりあくまでもこの制限速度の範囲内において回復運転はするというものというふうに理解をいたしております。  それから、私の責任問題の話でございますけれども、今回このような大惨事を引き起こしたことでございますので、会社としてあるいは私自身として大いなる責任を感じているところでございます。しかしながら、もう何度も申し上げておりますけれども、これだけたくさんの被害者が出ておるというふうなこと、これに誠心誠意対応をしていかなければならないこと、それから安全性向上計画を作ること、あるいはこの福知山線を再開させること等々、それから風土改革というものにも、是非ともこれを、きっかけをやはり私として付けねばならないんじゃないかと、こういうふうに思っているところでございます。また、そういうことが責任の果たし方ではないかと思っております。  それで、それでは風土改革は三年、五年とか十年とかというようなことが掛かるであろうと思いますけれども、それを、そんなに私自身として長くやるというつもりはもちろん思っておりませんで、今の時点でいつということについては申し上げることはできませんが、しかるべき時期にそのことについてはきちっといたしたいと、こういうふうに思っております。 ○国務大臣(北側一雄君)  官から民へと、国鉄からJRになったということでございますけれども、しかしながら鉄道事業者、多くの私鉄の方々が、事業者の方々が安全を確保しながら運行をしているわけでございます。JRになったからその安全確保がおろそかになったというのは、私そういうことは、そういう話ではないんじゃないかと思うんです。  そういう意味で需給調整機能、これは規制緩和の流れの中で進めてまいりました。しかし、そういう経済的な規制を緩和する中で安全規制、社会的規制が、それがおろそかになってはならないわけでございまして、そこのところをしっかりと私は見ていかねばならないというふうに思っております。  今幾つか義務化だとか検討をしているのもその一つでございますけれども、様々な制度、運用につきまして、安全面においての規制はやっぱりきっちりとこれはしていかないといけないわけでございまして、そういう意味で改善をしなければならないところはしっかり改善をしてまいりたいというふうに思っております。 ○末松信介君  結構です。