活動報告

2005-04-18
国際問題に関する調査会

162-参-国際問題に関する…-8号 2005年04月18日 ○末松信介君  自民党の末松です。  今まで先生方から大変有意義なお話を聞かしていただきまして、感謝をいたしております。  こちらへ入ってくる前に前田先生と話をしながら入ってきたんですけれども、小泉総理、一考の余地あり、と同時にやっぱり、日本国としての誇りというものをやっぱりきちっとこの際は述べていくべきであろうと、主張すべきであろうと、かように思うわけなんですけれども。長い間この東アジア共同体のずっと勉強をさしていただいて、自分なりにもいろいろな本をちょっと読んだりはしましたんですけれども。  前回、話を一遍しましたけれども、週末のデモを見ておりましたけれども、前申し上げたとおり、中国というのはやっぱり十三億の国民を抱えておりまして、大きな可能性を持っていますから、やっぱり小国ではないと。ただ、やることがやっぱり普通の国と変わらぬような立ち居振る舞いをすることがあるから、大きな大国でもないと。だから、中の国であるから中国だということを言ったんですけれども、そういうような気持ちというのをやっぱり日本人持たざるを得ないような、そういう感覚があろうかと思うんです。  結局日本人がどうしてこう、これちょっと庶民的な話になるんですけれども、中国のこういった問題について不快感を持っているかといったら、似て同じなものというとらえ方をしているんですけれども、現実はもう似て非なるものであると。私も中国の留学生の方のちょっとお世話をしたこともあるんですけれども、漢字一つ取ったって、走るというのは、日本人は走るんですけれども中国では歩くということですよね。汽車というのは、こっちでは列車ですけれども向こうではこれ自動車ということでありますから。もっと言いましたら、殺すというのは、これは接尾語で強い意味を込めているということですから、打殺って打ち殺すと思ったら、じゃなくて打倒するという意味であるということで、全然意味が違うんだなということを思ったわけなんですよ。  いずれにしましても、中国人というのは地縁を大切にする反面、日本人は血縁を大事にするということ。日本人は非常に恥の文化でありますけれども、外見的恥を日本人は非常にこだわるけれども、中国は内面的な恥を非常に大事にするということもあります。  そういうことで考えていくと、やはりもう一度、こういった、中国の方々のそういった生活思想というものをもう日本国民はもう一度、こういう共同体ということが今叫ばれているときだけに慎重に考えていったらどうかなということを思うんです。  兵庫県は広東省とも付き合いがあるんですけれども、役人の方が来られて、昼弁当を出したんですよ。ごちそうだったからおいしいだろうと言ったら全然おいしくないと言うんですよ。何でこれがおいしくないんだと聞きましたら、中国は温かいものがごちそうだと言うんですよ。温かくないものはごちそうでないという、そういうことを言われたわけなんです。ですから、全く発想が異なるなということを、そういうことを思いました。上に政策あって下に対策ありというようなことなんですけれども。  それで、この東アジア共同体のことなんですけれども、中国という国をどういう評価をしていくかということなんですけれども、これ東アジア共同体を考えるとき、日本は非常に中国の歴史を大きく広くとらえようとするんですけれども、中国は少なくとも日本に対しては百年未満でとらえさせようとすると。この東アジア共同体でも、日本は四十年あるいは五十年ぐらいの単位でとらえようという考え方もあろうかと思うんですけれども、中国はやっぱり十年から十五年ぐらいでとらえようという、非常に歴史のとらえ方も違うんだなということを思います。  それと、中国という国は常に敵、仮想敵国をつくって力を付けていくという、そういう国であると。  三つ目は、不安定、不均衡、非常にアンバランスの中から利益を生み出すのが大変巧みな国であると。日本は絶対に安定したところからでしかきちっとした利益を生み出すことができないということがあります。これはもう台中関係や日中関係や中ロ関係見ても分かると思うんです。  そして四つ目は、常に国民をあるいは世論を利用しながら政府の意見を反映さして目標を実現させていくということが非常に上手であると。民主化はできないことを知っておりますけれども、民主化を演じる、民主化をまた演じさせているというところがはっきりとやっぱり我々日本人にとっても理解ができると。  そして五つ目の歴史の認識問題、靖国問題、教科書問題も、国内世論を一気に反日、抗日に持っていける外交カードとして常に温存されているということなんです。  ですから、アウシュビッツにしたって収容所があります。広島の原爆記念館があります。南京虐殺記念館があるという。それぞれ三つはそれぞれ意味があるんですけれども、南京虐殺記念館、私は行ったことないんですけれども、この持つ意味というのはちょっとこのほかの、アウシュビッツと広島の原爆記念館とは違うというところから、私はやっぱり中国のそういった外交の原点というものをしっかり見詰めていかなきゃ改めていけないなということを、このことをずっと考えています。先富論とか社会主義市場経済というレーニンもマルクスも考えたことのないような思想をこれずっとやっていますから、したたかな非常に国というんでしょうか、巧みな外交術というものを、これをとらえがちであるという。  東アジア共同体をどの分野まで想定しているか分かりませんけれども、中国が周辺の安定を崩れることを一番今嫌っていますのはやっぱり経済的な成長を遂げているからだと思うんですけれども、いずれにしても、安全保障までこれ含めようとして考えた場合には、これはもうアメリカの存在、アメリカの出方ということが一番気になりますから、そうしたら、日本の方針も変えなきゃならぬ、中国も明確にしなきゃならぬというところで、そこまでは行き着くかどうかということは分かりません。そういう点では、経済共同体的なところで落ち着くのかなということを、そういうことを思うんですけれども。  先生方は、常に日本はASEANプラス3で考えるということが多いようですけれども、ニュージーランド、オーストラリアということも考えてもいいんじゃないかという話もありました。ここまで視野に入れる必要もあるということなんですけれども、私はやっぱり中国抜きにしてはこのアジア共同体ということは、東アジア共同体は考えられませんから、一つにはもう中国が民主主義の価値をどう理解するかというところにもうポイントが掛かってきているんだなということを思います。共同体の必要性は、もう環境の問題でもうCO2の排出量が今三百五十七億トンほどありますけれども、アメリカが二四%を超えていると、中国が一三%ですけれども、この上がる率が大変な量ですから、これはもうさっきの原子力の発電所の話もありましたけれども、これはもうアジア全体でとらえていかなきゃならぬという課題があろうかと思います。  それと外国人労働力の問題についても、現にフィリピンはもう、介護とか看護師さんをもう日本へ是非という話がありますので、抜きにしても考えられないということもありますし、ODAも、これはもう北京オリンピックで断ち切っていくということになっていますから、いずれ、これはアメリカが、この海外援助法ですか、共産圏には援助ができないということでありまして、人づくりに支援をしています。そういう点では日本もそこへ比重を置いていくということになろうかと思うんですけれども。  そうした点を考えていったら、共同体構想というのは時期尚早という先生方の声が多かったんですけれども、私なりには少しずつ議論を積み重ねて、今先生方が言われたポイントをつかみながら、これから前へ進めていったらどうかなということを思います。  時間を取りましたけれども、自分のまとめとさせていただきます。  ありがとうございました。